「こいつ中国語が話せるんだよ」。
相棒がモーガン・ウォンウィンファンさん にそう私を紹介する。なんてことを。私は中国語など話せない。
若い頃に中国語を勉強していたのですが、もう随分長いこと使っていません。すっかり忘れてしまいました。
たどたどしい中国語でやっとのことでそこまで話した。モーガンさんは北京の798芸術区を拠点に活動するメディア・アーティストで、レジデンス事業で招聘されICCに来ている。出身は香港である。
随分昔のことですが、北京電影学院というところに留学していました。当時、中国の第五世代映画に夢中だったんです。お金がなくて一年もいられませんでしたが。
記憶というのは不思議なものである。もう15年近く中国語を使ったことはなかったのだけれども、話しているうちに、分厚い氷塊が溶けていくように、少しずつ思い出してくる。それはモーガンさんの人柄によるところも大きい。私のれろれろの中国語にじっくりと耳を傾けてくれるしんぼう強さ、話の流れから言わんとすることを察してくれる聡明さ。そう、この感じ――。
実は僕の当時のルームメイトも香港からの留学生でした。彼は撮影を勉強していたのですが、二人でいつも映画の話をしていました。彼が僕の中国語の先生みたいなもんです。あんないい奴、お目にかかったことがありません。みんな彼のことをシャオワン(小王)と呼んでいました――。
「この部屋に移って来ていいか」。「いいよ」。
ノートの端に二人でそう走り書きすると、契約成立という感じで、シャオワンはさっそく私の部屋に荷物を運び込んだ。相部屋の留学生と折り合いが悪く、たまたま空いていた私の部屋に移りたいという。留学当初、私は中国語が全く話せず、シャオワンも香港人のくせに英語が下手だったので、コミュニケーションはもっぱら筆談だった。
シャオワンの肖像を的確にとらえる筆力は今の私にはないので、いい加減にコラージュ風につづると――。
頭を低く垂れてカメラを構える姿。お気に入りのローライフレックスの中古の二眼レフカメラで撮った北京の胡同(路地)のモノクロ写真。壊れ物を修理している姿。とにかく器用で、その手のトラブルは何でも解決してくれる頼もしいパートナーだった。ラジカセを大音量にして踊り狂う姿。クラッシュの「Bankrobber」が大のお気に入りで、あのゆったりとしたリズムにあわせて、奇妙に体をくねらせていた。ガイ・リッチーの「ロックンローラ」(RocknRolla)を観た時は彼を思い出して笑いが止まらなかった――。
そしてシャオワンの声――。
「チャオベン(橋本)!」。
シャオワンがどでかい声で部屋に入って来ると、夕食の時間だ。私は午後はたいてい中国語を勉強したり、本を読んだり、机にかじりついて過ごしていたので、時間を忘れることが多かったが、シャオワンは必ず呼びに来てくれた。二人で皿を持って階段をかけおりると、たいがい留学生仲間の誰かしらが食事を作ってくれていた。食事を終えると、寮のオフィスでチケットをもらい、皆でぞろぞろと映画を観に行き、映画が終ると、誰かの部屋に集まり遅くまでだらだらとだべって、だいたいそんなふうにして毎日が過ぎていった――。
中国語もだいぶ話せるようになったんで台湾に行くよ。映画の仕事を探そうと思っているんだ。出来たら侯孝賢のもとで。
別れは北京駅だった。深セン行の夜行列車で発つ私をシャオワンは見送りに来てくれたはずだが、いくら頭を振ってみてもその時の状況をさっぱり思い出せない。おそらくほとんど会話はなかったのだろう。
「映画にかかわっていると、最後はみんな不幸になっちゃうんだよね」。
シャオワンの箴言である。今は映画とは関係のない仕事についている。以前、私が撮った映画を友人を介して送ったところ、丁寧な感想が返ってきた。人に見下されたり、馬鹿にされたりすることには慣れっこで、まるで気にしない私ではあるが、ああいう友人に対してだけは恥ずかしくない生き方をしたいと思う、冬の夜、そんなことを考えていると、今にもシャオワンの声が聞こえてきそうである。
「チーファンラマ(飯食ったか)?」。