2008/10/27 雪虫のころ

 今朝は明らかに冷え方が違う。オフィスに着くや公園に面した大きな窓を開ける。空気を入れ替え、掃除をしよう――と、思う間もなく、びゅーという突風とともに枯葉が部屋の中に舞い込んで来た。どんよりと青ざめた雲、素っ裸になったカエデの木。
 ふと気が付く――あれっ、今年はまだ雪虫を見ていないな?
 札幌市内でも出ているところではとっくに出ていて、たまたま私が目にしていないだけなのだろう。
 今日あたりは、豊平近辺にも大量に飛んで来るんじゃないかしら?
 そんなことを考えながら、4階の編集ルームの見晴らしのいい窓辺にそわそわと立ち、かりかりと作業している相棒を横目に、ふわふわと舞い降りて来るであろう雪虫を待つ。火星人のようにどこからともなく、唐突に飛来して来るのを。
 空の向こうを見上げながら、ちょうど一年前、相棒とドイちゃんと三人、滝川神社で見た雪虫を思い出す。雨を含んだ雲は分厚い。雪虫を待ちわびるなんて、これから厳しい冬を迎える北国の人に対して失礼な話だな、などと考えているうちに、空はすっかり暗くなり、疲労困憊の相棒も一日の作業を終える――肩透かしである。
 というわけで、今年はやつらに会うことなく東京に帰る。

 いけない。これこそ肩透かしのとんだ駄文である。口直しに雪虫に関する美しい文章を。井上靖の「しろばんば」の冒頭部分です(しろばんばとは伊豆地方での雪虫の呼び名)。

 「その頃、と言っても大正四五年のことで、いまから四十数年前のことだが、夕方になると、決まって村の子供たちは口々にしろばんば、しろばんばと叫びながら、家の前の街道をあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら、夕闇のたてこめ始めた空間を綿屑でも舞っているように浮游している白い小さい生きものを追いかけて遊んだ。素手でそれを掴み取ろうとして飛び上がったり、ひばの小枝を折ったものを手にして、その葉にしろばんばを引っかけようとして、その小枝を空中に振り廻したりした。しろばんばというのは"白い老婆"ということなのであろう。子供たちはそれがどこからやって来るか知らなかったが、夕方になると、それがどこからともなく現れてくることを、さして不審にも思っていなかった。夕方が来るからしろばんばが出てくるのか、しろばんばが現れてくるので夕方になるのか、そうしたことははっきりとしていなかった。しろばんばは、真っ白というより、ごく微かだが青味を帯んでいた。そして明るいうちは、ただ白く見えたが、夕闇が深くなるにつれて、それは青味を帯んで来るように思えた」