2008/04/12 大海原

 陽はすっかり沈んだ。ここ大洗フェリーターミナル停泊中の客船のデッキから見ると、ひょろりとしたマリンタワーの頭の上にかかるように、うっすらと薄桃色の残照が残っている。汽笛の音が大きく響き、たそがれの空に溶け込むと、18時30分、船は定刻どおり出航した。苫小牧港まで約20時間の長旅である。

 「東京―札幌 9900円」。私のような貧乏人にはありがたい値段である。
 「パシフィック・ストーリー」というチケットを購入した。東京→水戸→大洗港→苫小牧港→札幌、フェリーと高速バスを乗り継いで行く。
 この歳になっても、どうも快適な旅というのが苦手だ。経済的な理由ばかりでもなく、元バックパッカーの悲しい習性なのだろう。20時間の船旅、結構過酷そうではないか。昔、北京に留学した時に利用した、神戸―天津2泊3日、燕京号での船旅を思い出す。
 「乗ってやろうじゃねえか」。私の中の猪木イズムに火が点いた。

 大洗の海には思い出があった。
 昔、水戸で働いていたことがあるのだが、休みの日はいつもここに来た。街にいても何もすることもなかったので。車で30分位だろうか。飽きることなく、一日中ただ砂浜に座って、ぼんやりと荒波を見ていた。
 海をながめていると、人生の不如意とか、そんなようなことも、なんとなくやり過ごせるものである。

 いざ船旅が始まると・・・・・・なかなか快適なのである、これが。
 共用の展望ラウンジの心地よいソファ。私の客室は一番安い雑魚寝ルームだけど、就寝ぎりぎりまでここで寛いで本が読める。どうせろくなものが出ないだろうと高をくくっていたレストランだが、バイキングはボリューム満点で味もいける。サウナ付きの大浴場、朝日に照らされた海をながめながらの朝風呂は格別だ。
 私的には“ゴージャスな船旅”である。

 震えながらデッキに立ち、いやというほど海をながめた。まったく飽きなかった。
 「私は海を愛する、何か無限のものが動いているように思うのである」という西田幾多郎の言葉が頭に浮かぶ。
 西田の伝記の類いを読むと、不遇時代の西田が、毎日のように長い時間、海をながめ続けていたというエピソードが必ずといっていいほど言及されている。
 鬱屈した思いを胸に、大海原を前に独り沈思する孤影蕭然たる姿。内的な生命の海のように広大な無限性。そしてその無限性は、波のうねりのように絶えざる流動性でもあるということ――それは一挿話という以上に、西田の哲学、その生き様や境涯といったものの暗喩にもなっているからだろう。カントにとっての星空、西田にとっての大海。                            
 
  苫小牧港に着くと、あいにくの小雨である。しかし、高速バスに乗り込み、市街地を通過するころには、うっすらとだが、青空が顔をのぞかせてきた。
 札幌はもうすぐである。