2009/07/01 駄目な僕

途方に暮れていた。八方ふさがりですっかりお手上げ、やる気も起こらない。ただごろごろ寝転がっていた。何年も前の話、映画を撮っていた時のことだ。
そんな私を見兼ねて、仲間のKが「気分転換にこれでも見てくださいよ」と、ビデオをかけてくれた。Kはいつでも楽天的に物事に対処してくれる。ビーチ・ ボーイズの「ペット・サウンズ」(Pet Sounds,1966年)に関するドキュメンタリーのようだ。BSか何かで放送されたものらしい。
とても興味深そうなプログラムだったが、疲れ切っていて内容は頭に入ってこない。イントロなしの印象深い歌い出しとともに、大好きな曲が流れてきた。

I keep looking for a place to fit in
Where I can speak my mind

ブライアン・ウィルソンの切ない歌声、「I Just Wasn't Made For These Times」だ。変なマスクをかぶったモンスター(?)が登場する、えらく投げやりなプロモーション・フィルムをぼんやり目で追っていた。ふさわしい状況で、ふさわしいBGMがタイミングよく流れるということが、人生ではままある。映画のように。

この曲は若い頃からとりわけ愛聴しているつもりでいたのだが、随分と浅くしか聴いてこなかったことに、最近気付いた。昨年話題になったジム・フジーリ著、 村上春樹訳の「ペット・サウンズ」は、歴史的名盤誕生の秘密に迫る読み応え十分のノンフィクションだが、その中の一章で、「I Just Wasn't Made For These Times」(村 上訳では「間違った時代に生まれた」)についても論じている*1。で、この曲に村上春樹がつけた訳詩の一節を読んで、「これってそういう歌だったのか」と 驚いたのだ。よく知っているつもりでいて、実は本質をろくに理解していなかったということが、人生ではままある。

They say I got brains
But they ain't doing me no good
I wish they could

中学生でも分かるシンプルな英語だ。「周りの連中は僕のことを頭がいいねとほめそやすだけで、何もしちあゃくれないんだ」くらいの意味にとって聴き流して いた。そういういじけた歌なんだろうと。実際、手元にある日本語版CDに付いている訳も、「頭がいいねとみんなは言ってくれるけど 僕に親切にしてくれる 人は一人もいない みんなそうしてくれないかなあ」である。
それが村上訳では次のようになっていた。

僕にはアタマがあるってみんなは言う。
でもそんなもの何の役にも立ちやしない。
残念だけどね。

周りの人間が役立たずなのではない、自分の“優秀”な頭脳こそがまったく無力で無益なのだ――they=brainsと解釈すると、この歌の哀しみの本質、つまりその孤独の実存的な深みが、まったく変わってくるように思えた。
改めて歌詞をちゃんと読んでみる。

   I've been trying hard to find the people
That I won't leave behind

「これは、自分が時代に先行しすぎていて、そのためにほかの人たちを置き去りにしなくてはならないと知り、悲しみに打たれている男を描いた歌だ」。そうブ ライアンは述べている。選ばれしことの憂鬱と不安。そこには冷徹な自己認識がある。疎外感や挫折感、落伍意識といった単なる気分の問題ではない。

で、件のすっかりいじけていた時の私は、そんなことに考えが及ぶべくもない。Kに感謝しつつ、ただブライアンの歌声にじっと耳を澄ませていた。

Sometimes I feel very sad
Sometimes I feel very sad

いつになく切なく心に響いた。

 


*1:「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』をひとつのヴァースとひとつのコーラスに縮めると、まさにこういう感じになるのではあるまいか」。この曲について、フジーリはそう評している。同感である。