2009/04/30 瞬間の刻印

 2ケ月ぶりの札幌行きである。今回はDVDを持参した。DVDプレーヤーを持っておらず、レンタルDVDで映画を観るという習慣がない私でも、ビクトル・エリセのDVD BOXばかりはどうしても手元に置きたくて、我慢できずに購入してしまったのだ。パソコンのDVDドライブはいかれているし、わざわざプレーヤーを借りるのも面倒だしで、ボックスセットはただ自宅本棚の上段に鎮座しているだけという間抜けな状況だった。

 どれから観ようかな?真っ先に手が伸びたのは本編ではなく、特典映像の「精霊の足跡」だった。「ミツバチのささやき」(El espíritu de la colmena,1973年)公開から25年を記念して放映されたテレビ・ドキュメンタリーである。
 舞台は映画のロケ地であったオユエロス村。なつかしい村の風景、当時とほとんど変わっていない。「フランケンシュタイン」が上映されたあの公民館で、今度は村人を前に「ミツバチのささやき」が上映される。撮影に使われた屋敷内で、エリセやプロデューサーのエリアス・ケレヘタら関係者、研究者たちが作品を振り返る。母親が自転車に乗って駅に向かったあの一本道を、一台の自動車がやって来る。運転しているのはアナ・トレントだ。オユエロス村を訪れる25年後のアナ――「ミツバチのささやき」の<原構想>を意識した構成である。
 
 「ミツバチのささやき」にはオリジナルの脚本からカットされた導入部があった。場面は夜汽車の中、父親の葬儀に出席するため故郷に向かうアナの回想から物語は始まる――そこまでは知っていたが、DVD付属の解説でその詳細を初めて知った。
 アナは32歳。スペインの南部から父親の葬儀に向かう列車の中、父親がミツバチの大群に襲われて死に、その光景を少女が無関心に眺めているという悪夢を見る。目覚めたアナの前に現れるフランケンシュタインの幻影。車窓に映る街の光が映写機の光にオーバーラップし、子供時代、村の公民館で「フランケンシュタイン」を観たシーンへと移行する――夜汽車のコンパートメントと映画館のアナロジー、戦慄の中での現在と過去の溶解。想像力を刺激するなんとも魅力的なオープニングである。
 撮影の数週間前、エリセはこのシーンを削除した。子供たちが演じるという作品の性格を考慮し、撮影の途中で生じてくる新たな要素を取り込むためには「開いた構造」が必要であると直観的に判断したという*1。
 オリジナルのプロローグが二重化された時間の中に父娘の葛藤、相克を暗示し、幻想性の中にも家庭劇としての枠組みや奥行きを与えたであろうと想像されるのに対し、「昔むかし・・・・・・」という決まり文句に始まり、どこからか巡回映画のトラックが村にやって来るという完成作のオープニングはずっとシンプルで、作品の時空を茫漠とした神話的雰囲気で一気に満たす――そんなふうにも言えるかもしれない。
 
 二つの冒頭について、例によって例のごとく空想に耽る――エリセの直観はやはり正しかったのではなかったかと。理由は単純である。<原構想>だと、アナは計3回、フランケンシュタインと遭遇することになる。つまり、映画の冒頭で続けて2回、<現在―夜汽車―幻影>と<過去―公民館―映画>だ。
 村の公民館、スクリーンに見入るアナ。聖なる怪物に慄き、魅せられる。フランケンシュタインはなぜ殺されたのか?殺されてはいない、怪物は村の外れに住んでいる精霊であり、いつでも会えるのだ、と苦し紛れに答える姉イサベル――アナの冒険が始まる。強い信念を持って世界を知ろうとするアナの探求と成長の旅は、脱走兵との出会いを引き寄せ、映画のクライマックス、フランケンシュタインの霊を呼び寄せる。
 話を戻すと、作劇上の仕掛けとしての<怪物との遭遇>と、世界の神秘=本質の顕現としての<怪物との遭遇>が近接することにより、後者すなわち<特権的瞬間>の意味や印象を希薄化させてしまう結果になったのではないか――うまくまとまらないが、そんなふうに考えた。

 ドキュメンタリーのインタビューの中で、最も印象的だったのは、やはりこの公民館のシーンについてエリセが語るくだりだった。
 手持ちカメラを構え、アナの前に座る撮影のルイス・クアドラド、エリセは彼の後ろで背中を支える。上映中の「フランケンシュタイン」、まさに少女が怪物と初めて出会うシーンで、アナは戦慄とも恍惚ともつかぬ表情で口を開ける――その瞬間、「映画を発見した瞬間」をカメラは捉えた。それは演出では決して出せない表情であり、記録映画の要素が劇映画の中で炸裂した亀裂であり、考え抜かれた映像様式、演出プランを超越してしまった瞬間であると。
 エリセは力を込めて言う。「私が撮った中で最高の瞬間だ」と。

 短い札幌滞在の間、「精霊の足跡」ばかり観ることになりそうである。

*1:父親の死―フラッシュバックという「閉じた構造」は、10年後の「エル・スール」に生かされることになる。