記憶がどうもはっきりしないが、国立駅から結構歩いたように思う。一橋大学の横を通って15分位だろうか?季節はいつだったか?毛布にくるまり、あいまいな記憶の足跡を当てもなくたどっていると、いつの間にか中途半端な夢をさまようが、ヘッドホンから流れる歌声に意識はまたこちら側へ戻って来る。中くらいの広さで、中くらいの勾配で、だらだらと長い、「多摩蘭坂」はそんな個性に乏しい坂だったように思う。で、坂を登り切ったら、目の前にはそう、ユニクロが建っていた。現実とはいつだってそういうものである。現実の風景などどうでもよい。求めていたのは歌の中の心象風景だった。
部屋を探していた。ということは、季節は冬に違いない。色々あって会社を辞めて、人生で何度目かの放浪の旅に出て、日本に帰って来たばかりの頃だったと思う。要はドロップアウトしたのである。生活を立て直すとか、大げさなことではなく、ふさわしく暮らしたかった。その頃、西荻窪で部屋を借りていたが、中央線沿線をもっと西に退けば、家賃もずっと抑えられるだろうと。すっかり無口になっていた。というか、当時ほとんど誰とも話さなかった。たまに近所の古書店を訪ね、博識で酔狂で心優しい主人に夜が明けるまで話し相手になってもらっていた。
坂を登り切る手前の一軒家とまでは言わないが、せめてどこか坂の近くのアパートを。そんなリクエストで不動産屋を回ったが、そうそう都合よく見つかるはずもなく、家賃も思ったほどには下がりそうにない。徒労に終わりそうな予感を胸に、それでも国立の町を当てもなく一日歩いた。心にかかっていることがあった。何年も音信のなかった旧知から、不意に連絡があったのだ。京都の撮影所時代の友人だが、訳あって札幌に戻り、実家に蟄居しているという。札幌を拠点に映画を作りたい、乗らないか?なんのことやら、雲をつかむような話である。
日はすっかり暮れた。せっかくだし風景を目に焼き付けておこうと多摩蘭坂に戻り、ゆっくり登っていると、別の歌の一節がふっと心に浮かんだ。
最終電車で この町についた
背中まるめて 帰り道
何も変わっちゃいない事に 気がついて
坂の途中で 立ち止まる
思い出していた、いつのライブでだったか?「いい事ばかりはありゃしない」、「この町」の部分を「国立」に替えて歌ったチャボ、素晴らしパフォーマンス――あの夜、多摩蘭坂で見た月はどんなだったか?三日月だった?そんなことまで思い出せるわけがない、どうでもいいことだ、とっとと寝よう――ヘッドホンから流れる「ヒッピーに捧ぐ」、お別れは突然やってきて、この1週間この曲ばかり聴いているような気がする――札幌ってどんなところなんだろう、あの夜、そんなことを考えていたかもしれない――リモコンに手を伸ばし、リピートを押す、人生の要所要所にいつも清志郎の歌があったように思う――。